2009/09/28
「あれから30年?あり得ないわよ。だって私はまだ29歳なんだから」。先週末イタリアのボローニャにコンサートのために滞在中だったGLORIA GAYNORは、そんな冗談を飛ばしていた。
かつてディスコを沸かせた歌姫GAYNORは、今でも年間平均100〜150回ものコンサートを行うシンガーで、現在もモスクワ、アムステルダム、スペインと各国を飛び回っている。そしてこのコンサートが終ったあとは、10/27にデジタル・リリースされる往年の大ヒット曲「I WILL SURVIVE」の再録音版のプロモーションのためにアメリカへ戻ることになっている。
この新たにリリースされるトラックには英語バージョンとスペイン語バージョンがあり、同時に自ら書き下ろした「HE GAME ME LIFE (I WILL SURVIVE)」というタイトルのゴスペル・バラード版もリリースされる。楽曲の発売はデジタル・ディストリビューターINgroovesの協力のもと、自らの幼少時のニックネームを名前にしたGAYNORのセルフ・レーベルGLOLO LABELからとなる。また、これら3曲はGAYNORの公式ウェブサイトGloriaGaynor.com.経由でCDとしても販売されることになっている。
FREDDIE PERRENとDINO FEKARISが書き下ろした大ヒット曲「I WILL SURVIVE」は、そもそもFERRENがプロデュースを手掛ける「SUBSTITUTE」という楽曲のB面曲として候補に上がっていた作品だった。PERRENとFEKARISの2人はこのB面曲を歌えるシンガーを長いこと探していたそうで、歌うことになったGAYNORは歌詞を見て、「冗談でしょ?これはB面どころか、すごいヒット曲になるわよ」と2人に言ったのだという。しかし彼らがレコード会社の上層部にそのことを告げても、まったく相手にされなかったのだそうだ。
こうして成り行き上はB面作品としてリリースされたのだったが、STUDIO 54のDJによって火がついたこの曲は瞬く間にクラブDJたちの間に広がり、ラジオへと飛び火していった。そして結果的にA面としてリリースされた「SUBSTITUTE」がポップ・チャートで107位止まりだったのを尻目に、「I WILL SURVIVE」は1979年の年間No.1を獲得するメガ・ヒットとなったのである。
GAYNORは翌1980年にグラミー賞の“BEST DISCO SONG”を獲得し、この曲はSHIRLEY BASSEY、DIANA ROSS、CAKEといったアーティストを含め200回以上もカバーされ、『AMERICAN IDOL』でも歌われている往年の名曲となったのだった。
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